(前日記 Aからの続き)
彼を含め、私達が見ていたのは3塁側のスタンド。
由宇のファールグラウンドは通常の球場に比べるとかなり広い作り。
そのため、フェンス際からの観戦でもバッターボックスはかなり遠くの位置にあります。
そして三塁内野スタンドから見る角度はやや斜め横になります。
その場所から見る観客に微妙なゾーンの判定など、本来わかるわけがないのです。
ただ一人危険を顧みず、キャッチャーの後ろという一番近い場所で判定するアンパイア。
彼にに文句を言える者がいるとすれば、それはキャッチャーくらいしかいないと思うのです。
その一番近い場所から見ている審判も人間。
いくら見る場所が近いといえ130Kmを超えるプロの球のコースを見極めるのは至難です。
しかし、ストライクボールの判定は瞬時に出さねばそれこそ疑念を生む結果となります。
マスクの下で目を皿のようにし、鬼の形相で球筋を睨み、瞬時に判定を下すアンパイア。
反応してはいけないと思いつつ、それらの仕事に真剣に取り組む仲間を揶揄されて黙っていられるか?
仮に自分に置き換えた場合、彼の気持ちは痛いほど理解できる。
むしろ、彼自身の審判としての誇りを感じ取り、人間臭いというかアナログの持つ力強さを感じました。審判になるべくしてなった方に私は見えました。
先の野次った観客がそこまで考え、その後沈黙してしまったかどうかは知るすべもありません。
しかし塁審の訴えるようなその叫びが彼の中の何かを動かしたのは間違いないと思います。
私自身もこの出来事があって改めて野球に欠かせない
「グラウンドの黒子達」の仕事の難しさを考えるようになりました。
あらゆるスポーツの中で最も複雑で多様な規約を持つ野球。
「ズルい事」をさせない為に設けられているそのルールは今だに試合ごと、新たな発見があります。
「うまく出来ているなあ、でもこれらを年頭に置かないとならない審判は大変だ」
(実際試合中に審判が野球規約書をめくりルールを確認する事もあったくらい特種なのです。)
そんな目で試合見ることが多くなってきました。ルール、定義の裏に隠された意図を知ると、目から鱗。
数あるなかで一つ例をあげさせて頂くと 振り逃げ (野球ファンには常識の事かもしれませんが)
3ストライク目に捕手が正規の捕球出来なかった場合。
(例:パスボール、ワイルドピッチ、バウンド捕球、三振アウトコール前に捕手がミットから球をこぼす等)
これは、記録上は三振であるが、打者はまだアウトではない。
打者にタッチもしくは1塁へのボール転送が必要。
しかし、ノーアウトもしくは1アウトの時、走者1塁もしくは1.2塁、1.3塁の時は振り逃げは成立しない。
(もちろん暴投、捕逸の場合、塁上の走者の進塁は自由)
これは何故か?
一見守備側への配慮のように見えるがそれは間違い。カギになるのは「フォースプレー」
このケースで仮に捕手が故意にボールを落とす等して、走者1塁及び1.3塁なら2塁に
1.2塁であれば3塁に素早くボールを転送すれば複数のアウトが取れてしまう確率が高いからです。
打者にタッチする余裕があれば、なお確実に複数のアウトを取る事が出来ます。
ですから逆に2アウトであれば走者がいようがいまいが降り逃げルールが適用されます。
インフィールドフライというルール(ある条件で野手が内野フライを捕球する前にその打者はアウトになる)
もありますが、これも守備側が故意落球により複数のアウトを取りやすくするのを防ぐ意図があります。
プロではめったにない事ですが、アマチュアでは勘違いによるミスで大量失点に繋がる事もあるようです。
(例:過去、ある高校野球の試合でツーアウトから「振り逃げ満塁ホームラン」という珍事がありました。
空振り三振の球を捕手がワンバウンドで捕球したが、一連の対処をせず守備側全員がベンチに引き揚げ
打者を含めた、相手の走者が全て本塁に帰塁し、それが得点として認められました)
常に冷静にしていないと思わぬ「ルールの落とし穴」が数多くあるのが野球というスポーツなのです。
もう一つだけ例をあげてみましょう。フォアボールとデッドボールについて。
デッドボールは文字通りボールデッド。試合が一旦止まり、タイムがかかった時と同じ状態になります。
しかしフォアボール成立時はインプレー。打者は一つの安全進塁を得ますが、試合は止まっていません。
もしもフォアボールの時、暴投等で捕手がボールを逸らした場合、打者はまず全力で走り出すべきです。
プレーは続行している為、場合によっては1塁より先の塁へ進塁できる可能性があるからです。
思いのほか捕手が早くボールを確保した場合は足を止めてゆっくりと1塁へ向かえばよいわけですから。
野球の基本の中の二つ、ボールから目を切らない、常に次の塁を狙う。
走者の場合、このどちらかが欠如した場合、「暴走」あるいは「怠慢」と見られてしまうのです。
余談が多くなりましたが、野球規約を一冊の本にすると辞典並みに厚いものになると言われます。
このような複雑なルールを頭に置きながら、野球の審判達は危険なグラウンドの中で仕事をこなす。
仕事は他にもまだまだたくさんある。ベースの土払いからニューボール、使用球の状態のチェック。
最近では非常に難解になった「ボーク」と「2段モーション」への的確な判定。
投手の微妙な動きまで見ないとならない。私のように一つの事しか手が回らない人間にはとうてい無理だ。
そして ゲーム操作、進行、決定、
自分の親のような歳の監督の抗議に対しても臆せず毅然とした態度をとらなければならない。
相手がどんなキャリアを積んだベテラン、大物でもグラウンドでは自分達が絶対的な存在。
監督からの抗議に対して試合が止まるのは団体球技では野球くらいのものだろう。ほんと、大変である。
また、試合の進行を妨げるもの、妨げの可能性になるものに対しても常に気を配らないとならない。
場合によっては自ら即席警備員の役割もせざるを得ないだろう。
時には犬、猫、観客などの珍入者もいればゴミや、試合球以外のボールが入ってきたりもする。
そしてあらゆる場面で試合続行可能か否か、悪天候時、試合成立まであと打者一人でも中止にするべきか
最終的に宣言するのはたった一人の責任審判である。その重圧たるや、測り知れないものがある。
野球の審判という人を通じて野球の面白さ難しさを考えさせられ、
そして、どうしてグラウンド上では審判が絶対的な立場なのか。
それを考えるキッカケになったこの出来事を忘れないようにしたいと思います。
※追記
今回、素人の私がその想像の域を出ない考えをダラダラと長々書きましたが
本物の審判さんのブログがありますので、ご紹介させて頂きます。
オールド・ルーキー チャレンジ日記2007年09月13及び14日の記事に、現職審判として審判の仕事に対する思いを丁寧に書かれておられます。
大変貴重で興味深いブログだと思います。